2008年6月1日日曜日

茂木健一郎 × 梅田望夫

茂木健一郎のクオリア日記がオモシロイ。

mp3で講義や対談がUPされいて、ダウンロードして、
iTunes+iPodに入れて、どこでも聞ける。

その中でも、最も強烈に印象に残ったものがこれだ。

話題は多岐にわたるが、茂木の意見に強くアグリー。

・なぜアイボが撤退したか(退屈しないロボットとは)
 →これは日本メーカーへの示唆に富む。
・グーグルについて
・知のあり方について(身体的有限性から創発しうる知と無限に広がる情報の海)
・偶有性と社会構造・文化、社会のあり方:
 ・東大とケンブリッジについて(日本と欧米の知の交流のあり方)
 ・学会と論文(組織と個人のあり方)
 →これは留学中からの経験でとても分かる
・ポスドク問題
・はてなと大学の共通点
・知のあり方とセクシーさについて
・2chについて
・院生のあり方とモーッアルト(知の疾走感)

しかし、内容はとーても深い問題意識を出発点にしており、

かつ、さらに深く広い問題とつながっているのだと、気づいた。

さらに、茂木版Web時代を生きると言ってもよいだろう。

「Lecture 2 Googleのようなgood old fashined A.I.
が台頭した今、embodimentやintuition、
複雑性に重きを置くromantic scienceはどうすれば良いか。」

音声ファイル(MP3, 78.2MB, 85分)

参照:茂木健一郎 クオリア日記2007/01/23 茂木健一郎 東大駒場講義


これを聞いた、梅田さんが、同じようなブログを書いていた。

「その中で最も刺激的だったのは、茂木が一月二十二日に東大駒場キャンパスで行なった約三時間の講義だった(一月二十三日付「クオリア日記」からダウンロードして聞くことができる)。認知科学や複雑系の研究者や学生を対象とした講義の後半で、茂木は突然グーグルの話をし始めたのである。…続く…」

参照:シリコンバレーからの手紙 科学者に衝撃を与えた「ロマンティックでない」グーグル

1 件のコメント:

  1. 思うに、最後の日本社会の文化を除く、研究や知のあり方の議論はとてもとても、共感する。しかし、この議論の本質は、お金があるかないか、あれば何に使うか、言い換えれば、科学・学術研究がその他多くの競合する選択肢において優位性を保っているか、ということだ。誰か曰く、「そんなこと研究する暇あったら、貧困だ!紛争だ!天災だ!構造改革だ!または、利権だ!」ということについて、往々に見られることだが、このような社会的に整備された政治経済活動との競合関係に、科学者があまりにもナイーブかつナンセンスなのではないだろうか。

    社会的に成熟されたサイエンスを受容する空白がない日本社会も一つ問題だ。しかし、戦略的に経済的基盤を構築するために、サイエンスのあり方を内的に再構築しないサイエンス側のエネルギーのなさ、があるのではないだろうか。

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