2012年9月8日土曜日

value commerce 設定

2011年5月19日木曜日

西部邁ゼミナール 2010年2月20日放送



TV局とは、視聴率の最大化を目標とした事業体だ。
視聴率とは、視聴者の数が最大化すること、または、視聴者数の割合を最大化することだ。
分単位に変化を分析し、反応を見る。チャンネルを変えるとは、無意識であり気分であり、
興味と関心の有無と、その時の求めるものの気分に左右される。人間の本能的な、生理学的、
心理学的な反応に対する、コンテンツを常に提供し続けることをTVの局は宿命付けられている。
ある意味で心理学者的な作業がコンテンツ選定段階で行われている。

本来のマスメディアの役割、TVの役割とはなんだろうか。
国民の知る権利を代行し、ジャーナリズムの具体として、国民のために
政府・権力を監視するものではないのか。

2つのゴールが不協和し、事業活動の継続に必要な利潤の最大化を優先したとき、
TV局は、ジャーナリズムの役割を放棄し、国民の知る権利代行機関としての役割がなくなったと
認識されるべきだろう。

娯楽を伝える、そのことは重要だ。しかし、第一義的ではない。

2011年5月6日金曜日

宮崎哲弥 x 上杉隆 「官房機密費って何?」 1/6



記者クラブ問題 ≒ 官房機密費問題

2011年5月4日水曜日

保守政治とは平沼赳夫

保守政治とはなにか



自由民主党初代総裁鳩山一郎が自主憲法制定で負ける
「子供を戦地へ再び送るな」とのマスコミ、共産党の主張

憲法を制定するという意思を持つことが、
国を誤った方向へ再び導くという不安が当時あった。

間違った戦争であった、またこの敗戦という不幸は
自らの手によってもたらされた、と責任を感じた当時の日本国民。
その力を放棄することで、平和と幸せを手に入れようと願った。

よって自主憲法制定とは、戦争との密接な関係を想起した。
現行の平和憲法が、平和、安寧、経済的復興とつながった。

分かっちゃいるけど止められなかった第二次大戦。
量、質ともに軍事力が劣っていたことが開戦の時より分かっていた。

ここで不思議なのが、なぜこのような議論を見聞きしないのか。
すなわち、第二次大戦、どのように幕開けをし、幕引きをすればよかったのか。
歴史に仮定があるとすれば、開戦をしないほうが良かったのか。また、
せざるを得なかったとして、いつどのような責任の取り方で終戦を迎えるのが良かったのか。